低スペックは「普通」についていけない

低スペックで辛いことは何と言っても普通の人間の能力についていけないということだと思う。

この世の中は出来ない人間に対して非常にシビアだ。
物心が付く前の小さい頃から他人に評価され、比較され、競争させられる。
出来ない人間はたとえ小さい子供でもゴミのような扱いを受ける。

これが自然界に生きる動物なら死ぬだけなので仕方ないと思うが、文化的になったつもりでいる人間も結局同じことをしているので所詮ただの動物だなと思う。

何においても基準は出来る方に合わせられるので出来ない人間はとにかく冷遇される。
そして出来る、出来ないの判断も非常に早い。

最初にテストされ、そこで出来ない判定を受ければ見放され二度と浮上出来ない。
今はネット社会で、各分野の達人が遺憾無く自分の実力を発揮できる時代になった。
どんどん人間の目は肥えて、「普通」の基準がものすごく高くなっているように感じる。

昔から運動音痴だった俺は中学校で入ったバドミントン部で当然の如く試合に出ることは出来なかった。
最初に出来る判定を受けた部員はどんどん実戦経験を積み、さらに上手くなっていく。
元々あった差がさらに開き、追いつくことは不可能になる。
大会で勝ち上がるためには当然のことだろう。
ただ、教育の一環として部活動を強制までさせているのに技術もスポーツの喜びも知る機会を与えず一体何を教えるつもりなんだろう?
たまに裏方としてベンチやスタンド応援に回された野球部員がレギュラーを支えているとして美談にされるが人前だから本性を隠しているだけで本当はめんどくせーからさっさと負けろよって思ってるよ。
他人が活躍しているところを見せつけられ、自分はみじめに他人の応援。
こんなのは劣等感を植えつけられるだけだよ。
本当に応援することが好きなら相当のマゾだと思う。
部活だけじゃなく、運動会とか体育祭も同じ。

でも世間では部活や体育祭で活躍していた人間が「普通」でありマジョリティーであり物事の基準になっている。
運動だけじゃなく全てのジャンルにおいて出来ない人間は出来る「普通」人間のマウント用サンドバッグ役。
こんなんじゃ萎縮して何も出来なくなるよ。本当に生きづらい世の中。

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