安田純平さん帰国と自己責任論について考えてみた

武装勢力から解放され帰国したジャーナリストの安田純平さんについてネット上では批判の声や批判に対する批判など様々な意見が飛び交っている。
話題の中心は安田さんが拘束されたのは自身の責任とする「自己責任論」についてだ。
自己責任については前々から思っていたことがあるのでこの機会に考えをまとめる。

 

他人に対して「自己責任」をふりかざすな
まず最初にいうと俺はこの自己責任という言葉が大っ嫌いである。
 
このブログのサブタイトル通り俺は能力が低く、これまで色々なことで失敗してきた。
就職活動、受験、恋愛、部活動…
人生における重要な場面では全て失敗してきた。
どうも人が失敗してるのを見るとマウントを取りたくなる人が多いみたいで、具体的なアドバイスをするわけでもなく自分が気持ちよくなるために偉そうに中身のない説教をしてくるのだ。
その度に使われる言葉が「自己責任だ」「全部出来ないお前が悪い」だった。
「自己」責任なのに他人にふりかざすために使われるこの言葉が大っ嫌いなのだ。
 
そもそも自己責任とは何なのか?

じこ‐せきにん【自己責任】

 自分の行動の責任は自分にあること。「投資は自己責任で行うのが原則だ」
 自己の過失についてのみ責任を負うこと。
                                  引用:コトバンク
自分のことは自分で責任を負うということで、この言葉の意味に他人という字は入っていない。
なのに何でそれを他人に言われなくちゃならないの
 
失敗のツケは必ず自分にやってくるわけで、その時点で自己責任は十分果たしている。
それ以上のことを他人に追求される筋合いは無い。
繰り返すが自己責任とは自分が責任を負うことであって、他人が負わせるものではない。
 
ストレス発散のために他人の失敗を責めまくって冷たく突き放す…。
こんなことをやっていて本当に良い社会が出来上がるのか?
気持ちよくなるための道具として自己責任という言葉を使うな。
と言いたい。
 
 
今回の場合使うべきなのは「自業自得」
じゃあお前は安田さん擁護派なのか?と思われるかもしれないがそうではない。
程度の差が問題で、お前が悪いと言われても仕方ない場面は必ずある。
そういう時は「自己責任」ではなく「自業自得」と言ってもらいたい。
すでに述べた通り、自己責任は他人が使う言葉じゃないからだ。
 
玄倉川水難事故という事故があった。
キャンプ指定地外の中洲でキャンプをしていた一行が、大雨による増水の危険性を再三注意されたにも関わらずこれを聞き入れず13名が死亡したという事故だ。
 
今回の一件はこの事故に近いものがあると感じる。
その理由として、本人の過去の発言がある。
日本政府はパスポートを没収してまで安田さんの身を守ろうとしたにも関わらずむしろこれを非難。
さらに自己責任という言葉を自ら使ってまでこれを跳ね除けている。
 

一番現地の危険性を知っているはずで一番身を守らないといけないはずのジャーナリストがこの危機意識の低さ。

 
このように幾度となく救いの手が伸べられたにも関わらず聞く耳を持たず自らこれを跳ね除けた場合、自業自得と言われても仕方ないと思う。
 
火のない所に煙は立たない。安田さんが本当にただの被害者ならここまで叩かれるわけがない。
擁護派は危険を顧みない勇敢なジャーナリストが批判された!という点にしか目が行かず、こういった過去の発言を知らないのではないか?と思う。
ジャーナリズムは尊敬すべき立派な行為で、それ自体を批判する人はいない。
それなのに批判されているのはそれなりの理由があるからだ。
 
謝罪は他人が強要するものではないけれど、解放されてまず日本政府のおかげとは思われたくないと言ったり、カメラを奪われたことばかり怒ったりするのはおかしい。
そんなことより常識で考えたらまず謝罪が出てくるんじゃないの?と思う。
 
 
社会に迷惑をかける人間はいらないという考えについて
身代金を払うくらいなら死ねばよかったのに等、社会に迷惑をかける人間はいらないといった趣旨の意見がある。
これは明らかに言い過ぎじゃないか。
 
役に立たない、要らない人間をどんどん排除していく社会はまるで北朝鮮みたいだ。
そんな社会が理想なのだろうか?
要らない人間をどんどん消していくなら、その内その意見に賛同している人も消されるのに。
擁護派ではないけれど、まずは無事に生きて帰ってきたことを喜ぼうという意見には賛成だ。
 
ただ、安田さんは現地に行くのは向いてないから他の方面で活動してほしいと思う。
 

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